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2020年 08月 12日
御先祖さま、ありがとう。
おじいちゃん・いぞうさんは、インパール作戦という ひどい状況であったと言われる戦争で亡くなりました。 戦死。ひとつの命ではなく、数のひとつとして数えられた命たち。 いぞうさんは、紙問屋から紙を買い売り歩く仕事だったそう。 わたしも紙好きなんです。嬉しいな。 生まれたばかりの息子(わたしの父)を背負って、自転車で紙を売りに行っていたそう。 「そんな、子をせたろうて(背負って)行って、かっこの悪い」などという周りの言葉も跳ね除け 「我が子せたろうて、なにが悪い」と仕事に連れていったそうな。 そんないぞうさんは、その息子が1歳くらいの時に、戦争へ。 戦地に赴く前に、歩くようになった息子を一目見せようと、兵隊としてとどまっている場所まで妻(おばあちゃん)が連れていったが、 冬で靴下をたくさんはかされていて、その赤ちゃんは歩く姿を見せられず。 それが最後だそうです。 一度、舞鶴に帰ってくる、という話があり、妻とその息子は、一目でもいぞうさんを見たい、と、港に行ったらしいが、会えず。また、次の戦地に行ったのか。 おばあちゃんと幼き父は、舞鶴まで行ったんだな。 どんな気持ちで向かったか、とも思うけど、我が子と遠くまで出かけたその時間は、 おばあちゃん、亡くなる時に思い出せたんだろうか。 わたしたち家族との幸せな人生、に生きてくれてたんだろうか。 おばあちゃんが74歳で亡くなるときに、単身赴任で東京にいた父は、最後の場面でちょっときついことを言ってしまったことを、よく悔いている。親子とはそんなもんだろうか。 戦争の本をよく読んでいたおばあちゃん。 わたしにも話して聞かせたものだ。 その戦争の様子を見たり聞いたりすることだけに、亡くなった夫を感じていた人生。後家さんだった。 わたしには、わたしを面倒みてくれたおばあちゃん。 あの世で会えるということがあるのかないのか。 わたしは、おばあちゃんから聞いた戦争。うちの家族に影を落とした戦争について、憎んだり憤ったりしたくもないくらい、触れたくない。 どんなにエグいことなのか、知ってるからもう、言わないで、という気持ちだった。 広島にも行ったことはない。行かなくても悲惨なことはわかるから。 わたしにはそれを見るだけの度量がない。知るだけの度量がない。 いまある幸せをひとつひとつ紡ぎたいだけ。 この夏、大淀(奈良県)の公民館に、インパール作戦での戦利品としてイギリスに持ち帰られた日章旗が、日本に返還されていて展示されるそうだ。 見に行ってみようと思う。 そう思っている自分に、少しホッとしてもいる。 ✴︎ ✴︎
by sakainorikoprojec
| 2020-08-12 02:38
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